徳川時代における上意下達(じょういかたつ)の方法として、各村々の中央又は代官・名主等の邸前に高札場が設けられた。
この高札場は、甲信両国に通ずる秩父往還に面する旧名主山口家宅前にある。建物は、約1mの石積の壇の上に2本の親柱と2本の横木で組まれ、その上に切妻造(きりづまづくり)の屋根をのせており、間口2.3m、奥行1.2m、高さ2.4mで、これを囲んで高さ1.18mの木柵を設けている。建築年代は文久年間(1861~1864)と推定される。
徳川時代における上意下達(じょういかたつ)の方法として、各村々の中央又は代官・名主等の邸前に高札場が設けられた。
この高札場は、甲信両国に通ずる秩父往還に面する旧名主山口家宅前にある。建物は、約1mの石積の壇の上に2本の親柱と2本の横木で組まれ、その上に切妻造(きりづまづくり)の屋根をのせており、間口2.3m、奥行1.2m、高さ2.4mで、これを囲んで高さ1.18mの木柵を設けている。建築年代は文久年間(1861~1864)と推定される。